「2009年02月」の記事一覧

伊豆天城 吉奈温泉の歴史・・・ぬる湯の効果・その1

吉奈温泉は開湯1280年以上の歴史ある温泉です。私共もこれほど長い歴史ある温泉はなかなか出会った事がありません。なぜこれほど長い間多くの方に親しんで頂けたのでしょうか?
昔「伊豆」と言えば、温泉地は下田街道沿いの中伊豆にしかありませんでした。修善寺や吉奈、伊豆長岡などはどれも歴史深い温泉地です。また古くから京の都からの流刑の地でもありました。近流・中流・遠流の中で最も重い政治犯が流されたのが、遠流の地「伊豆」。中伊豆街道沿いにはその都人達が伝えた文化が今でも息づいています。
偕気楼・女湯-2-2.jpg
伊豆の温泉が爆発的に増えたのは「昭和30年代」。東伊豆の鉄道開発とTVの普及により、それまでは中伊豆地区にしかなかった温泉が、東伊豆でも開発が始まりました。当時は漁師の身体を休める程度であった東伊豆の小さな温泉地は、どんどんTVで紹介されるようになり、現在の「伊豆は海」と言うイメージが作られたのです。
ですので昭和30年代以前にあった旅館は、やはり多くはありません。その中でも吉奈温泉は大変特殊な存在だったようです。この極上の泉質を気に入った後援者が、1280年の間いつの時代にも必ず居てくれたのです。古くは家康側室の「お万の方」から戦争中は「陸軍温泉療養所」として、戦後は財閥系の方々など、誰かが必ず後援してくれたという大変ラッキーな吉奈温泉。今は多くの伊豆の温泉地に埋もれていますが、それだけの長い間愛されてきた理由があるのだと思っています。
一番の理由はやはり温泉の「泉質の良さ」でしょう。なんてことはない柔らかなお湯なのですが、浸かってみないとその良さはなかなか伝わらない。強烈な個性のある温泉と違い、一般的だからこそ長く浸かることができるのも、リラックスしじっくり泉質を味わえる理由です。
もうひとつは、かの文豪・川端康成氏も言及するほどの「ぬる湯」だったこと。
彼にはぬる過ぎたようで吉奈温泉のことを「をんなこどもにはつきあえぬ」と随筆の中に書かれています。さか屋先々代の碁仲間であった川端氏は、よく吉奈の碁会所に来ていたので、当然吉奈温泉の共同湯にも浸かったのでしょう。当時の共同湯は湯船の下からの自噴を利用したものでした。それでも40〜42・3度程度だったのかもしれません。現在では第3源泉まで開発され、これが高温泉だったために混合泉である供給温度は多少上がっているようです。
日本の温泉は本来火山性地熱を利用しているから、そのままの源泉は大抵熱川温泉のように非常に高温泉か、山梨の下部温泉のように鉱泉・冷泉系など、そのまま手を加えず浸かれる温泉は大変少ない。吉奈温泉が長く愛されているのは「大変希少なそのままで入れる源泉」を持っていたからと言えます。自然が与えてくれた貴重なギフトだったわけです。
つづく
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